先を読む農業の実践
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「一芸に優れ」が信条という長岡京市井ノ内の 野村重治さん
高校卒業後就農、四六年が経つが、多くの先進的な取組みをしてきた。 本来、野村さんは竹材と筍だけで食べていける農業を目指していた。 昭和三〇年、この地が発祥である建築資材としての「図面角竹」の生産を始めた。 昭和三五年から四十年代、東京オリンピックや大阪万博の開催に伴うホテル建築が盛んになった。需要が高まり高値取引がされたことで、所得の六割まで「図面角竹」が占めるようになっていた。 高度経済成長にさしかかるこの時期、七桁農業を目指す動きがあったがすでに野村さんは、実現していた。 昭和四三年には、筍の早出し、増収の研究に取組み、当時京大の上田弘一郎博士を中心に電熱栽培、ビニールハウス栽培を手掛けた。同時に施肥法の開発に関った。 試験成果を生かして筍栽培基準をつくり、地域の筍生産技術の向上にも寄与した。 その後、オイルショックが影響し、「図面角竹」は下火となる。同時に竹林を畑に転換し、筍生産を拡大。 昭和五三年、水田転作が始まったことが茄子栽培を始める動機になった。新技術を常に求める野村さんは、今は常識となったV字型整枝法をいち早く取入れた。新技術の普及と定着に向け、モデル農家として地域内外にも貢献した。 毎年、府立農業大学校が実施する農家派遣研修で学生の受入れや茄子、筍の栽培実践者として研修会などでの講演もする。 これまで長岡京市農業委員会の会長、府の農業指導士、前年度まで、JA京都中央の代表監事も務めた。六五歳で、役の大部分は退き、次の世代に譲ることにしていた。 「これまで努力と工夫次第でむくわれる良い時代に農業が出来た。今後も難しいが同じ。バトンはまだ離さず走り続けたい。体の自由が利かなくなったらその時点で後継者に譲る。」 昨年の秋、長年の努力が認められ、農業功労表彰として「緑白授有功章」を受賞した。 文章 JA京都中央 道尾利之 |